尿漏れに気づいたら、いくら親であってもどのように話せばいいのか気を遣うものです。
娘の立場から言うと、母親には比較的話しやすくても、父親にはどう切り出せばいいのかが難しいもの。
しかし、尿漏れが気になりつつも踏み込めないでいた父に末期ガンが見つかりました。
ここでは、そのときに悩みつつも家族がとった対応についてお話しします。
父の尿漏れについて最初に気づいたのは、父に頻尿の傾向が見られていて、トイレに行く途中でわずかに濡れてしまうのを見つけたときです。
男性は、追っかけ漏れになりやすいと言われているので、「この影響かもしれない」と自分に言い聞かせてみたこともありました。
この頃は、この先ひどくなったら気をつけようと思う程度で済まされていました。
そのため、尿取りパッドの話題が上がることもありませんでした。
追っかけ漏れ程度なら、母も「少し濡れているよ」と冗談めいて言っていたので、私も「たまにあるちょっとの濡れは、加齢のせいだから様子を見て排泄ケアのことは話そう」ぐらいにのんびり構えていたのです。
父に対して尿もれについて言いづらい状態が続いている中で、父に進行ガンが見つかりました。
そして、ガンのため入退院を繰り返す頃になると、病状も急速に悪化して見る影もなく痩せていき、体の動きが悪くなったこともあり尿漏れも顕著になってきたのです。
病室の中でトイレに行くときにも、尿漏れが何度かありました。
尿意を催しても体がだるく筋力も落ち、なかなか動けなかったためもあります。
下着やタオルなど着替えに必要なものを準備していたものの、1日の内にも着替えが必要になる時もありました。
一度だけ「今は、男の人も排泄ケアの便利なものがあるから、使ってみたらどうかな?」と言ったことがあります。
返ってきたのは、「そんなものはいよいよとなった時に使うから、着替えをたくさん持って来てくれ」という言葉でした。
70歳過ぎまで元気に暮らしていたので、本人にとっても急にこんな話は自尊心が傷つくと思ったのは確かです。まだ「自分は年寄り」という気持ちすら持っておらず、闘病の最中にありながらも、まだまだ気持ちの面では若い時と変わらない意思の強さもありました。
そのため、排泄ケアについてはそれとなく触れてみるという程度しか言えませんでした。
それよりも、父にとってはガン告知と病状の重さの苦痛が強く、排泄ケアの話に神経を使わせることの方が負担だと考えたからです。
差し迫っている命を考えた時、自尊心を保つために父の望むようにするのが一番ではないかと思いました。
・余命宣告を家族が受けている中、父の希望する緩和ケアを選んでいる
・何とか自力で病室内だけでも動いて排泄をする意欲を尊重する
・排泄ケアのおむつを使うのは「いよいよ最期になった時」と父が自嘲気味にぼやいたことがある
この3点を考えてみると、優先すべきは、父が余命をどう過ごしたいと感じているかを理解し、できるだけ寄り添っていくことしかありませんでした。
亡くなったのは74歳だったので、もしもっと年を取ってからならば、父の心身の状況も私の対応も変わっていたかもしれません。
父は、本人が言っていたその言葉通り、いよいよ最期となった時におむつを使っただけでした。
他界してから、闘病がわずか半年で亡くなった父を思う時、今でも「私のやり方は正しかったのかな?」と頭を過ぎることもあります。
生きていれば父も82歳なので、今ならすんなり排泄ケアの話もできる年齢でしょう。
また、ガンがそれほど切羽詰まったものでなければ、排泄ケアのグッズも徐々に慣らしていけたかもしれません。
排泄ケアは、高齢者が今の暮らしを維持していくためだけではく、自尊心を尊重するうえても本当に大切なことだと思われてなりません。